佐渡家文書
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佐渡家は越中砺波郡止観寺城主建部佐渡守を初代とする。佐々成政に攻め滅ぼされた後、医術を業とし高山に住んだ。慶長14年(1609)、前田利長の高岡入城時に召されて高岡に移住し、下川原町に住み、その後利屋町へ移転した。4代建部順益が佐渡養順と改名し、以来これを襲名した。佐渡家は産科医として殊に高名で加越能三国はもとより、飛騨・越後からも患者が殺到し、門前市をなしたという。
9代養順(三良)が京都の蘭医小石元瑞の究理堂に入塾し、江戸昌平黌に学んだ。その弟の良益(坪井信良)もはじめ小石元瑞に学ぶ、後に江戸の坪井信道の日習堂に入塾し認められて養子となった。
当家の8代・9代のときに収集した書物は「蒼龍館」と名づけられ保管されていたが、その一部は、金沢市立玉川図書館近世史料館に保存され、残りの部分を平成13年に高岡市が購入して当館で所蔵するにいたった。当館所蔵の古文献史料は412点(954冊)で、9代養順の処置録や佐渡家歴代の人々の著書・蔵書・手録、江戸初期の医学・薬学本のほかに論語や読み本などがある。 |
佐渡家 |
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文書一覧(資料数
79点) |
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(50音順に表示しています)
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画像
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文書名(及 副書名・巻次・版・巻題・内容)
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著者・差出人 |
出版元 |
版年 |
ページ数 |
大きさ |
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新板庭訓往来 平仮名付 全 天保新版
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池田東籬/筆 |
皇都 藤井文醒堂 |
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52丁 |
26x19(cm) |
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新編広集字書 補遺
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76丁 |
13x16(cm) |
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隧穴啓蒙
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梯謙/編 |
須原屋茂兵衛他 |
天保2(1831) |
1帖 |
18x557(cm) |
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すすはらい
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戯撰軒志丈/著 |
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安永8(1779) |
53丁 |
16x12(cm) |
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蚤虱弁 医療手引草 初編
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長崎浩斎/著 |
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天保2(1831) |
8丁 |
18x13(cm) |
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増補医道便易 全 新版
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平沢随貞/撰、平沢左内/校 |
京都 山崎金兵衛 |
安永3(1774) |
43丁 |
16x11(cm) |
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増補歴代名医図
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竹〓(ホウ)樓 |
寛保4(1744) |
1軸 |
116x41(cm) |
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素問記聞 1
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中野玄與/著、渋谷玄倫/写 |
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寛政3(1791) |
34丁 |
25x18(cm) |
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大宝百人一首紅葉錦 全
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芳□斎主人/画、文%ー枢斎/毫 |
岡田屋嘉七他 |
天保12(1841) |
228丁 |
26x19(cm) |
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戴曼公治痘用方 完
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佐渡三良/写 |
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34丁 |
25x17(cm) |
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