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中央図書館が所蔵する古文書(過去の時代の史料となる古い文書)、古典籍(昔書かれた価値・評価ともに高い書物)、古絵図など約5,000点のうち、200点をこのホームページで紹介します。
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分類(家別)一覧
朝山家文書
朝山家文書
朝山家の祖先は越前で前田利家に仕え、11代の新平が利長に従って富山へ移ったあと、町人となって小杉近在の手崎に居住し、町人として厚遇された。その後、年代は明らかではないが、高岡へ移転し米問屋を営んだ。
当家に伝わる古文献は61点(87冊)で、富山藩と加賀藩に貸した金銀の書上帳のほか、他村で所有した歩分帳などがある。
五十嵐家文書
五十嵐家文書
五十嵐家の初代次郎助は越後国蒲原郡伊賀良志神社の神主であったが、砺波郡内島村を開発して、寛永12年(1635)十村となった。
当家に伝わる古文献は150点(221冊)と短冊117点である。篤好が著した伊勢物語披雲や言霊をはじめ、神典秘解のほかに、和絃(篤好の息子)の絵巻物など興味深いものが多い。平成8年(1996)から当館で、保管している。
五十嵐家は現在の東五位小学校にあったが、明治期に富山市へ転住された。今は校庭の片隅に篤好翁頌徳碑がたたずんでいる。
一番街通り御車山文書
一番街通り御車山文書
高岡の御車山は七基あり、その一基が一番街通りの御車山である。その運営・管理を一番町、三番町、源平町の3町で行っており、この3町を総称して一番街通りと呼んでいる。
この文書は64点(78冊)で、一番街通りの御車山及び祭礼の費用に関する書類の他に氏神の関野神社の諸経費の記録、瑞竜公三百年祭曳山飾付にかかる経費などの文書があり、平成12年に高岡市が購入した。
大坪家文書
大坪家文書
大坪家の先祖は公家侍で、京都から二塚村へ引越して居住し禁裏(宮中)北国御用を務め、大坪中務と名乗っていた。
大坪家に伝わる古文書は90点(137冊)あり、収納米(年貢米)や物成(年貢)に関する文書のほかに、水戸光圀や水戸頼房の書状など前田利長の娘を産んだ家ならではの希少文書を所蔵する。平成8年(1996)、大坪富江氏(千葉県船橋市在住)により寄贈された。
坂下町文書
坂下町文書
坂下町の町内会では、江戸時代から引き継がれてきた町の文書を総代が預かり、蔵に保管して、交替するときに文書もひきわたす慣わしであった。
坂下町に伝わる古文献は237点(350冊)で、同町の地図をはじめ、町内や関野神社経費の収支予算書、町の規約などがある。平成13年に坂下町自治会より寄託された。
佐渡家文書
佐渡家文書
佐渡家は越中砺波郡止観寺城主建部佐渡守を初代とする。佐々成政に攻め滅ぼされた後、医術を業とし飛騨高山に住んだ。慶長14年(1609)、前田利長の高岡入城時に召されて高岡に移住し、下川原町に住み、その後利屋町へ移転し、産科医として高名をはせた。
当館所蔵の古文献史料は412点(954冊)で、9代養順の処置録や佐渡家歴代の人々の著書・蔵書・手録、江戸初期の医学・薬学本のほかに論語や読み本などがある。
清水家文書
清水家文書
清水家初代は尾張国(現愛知県)の浪人であった辻庄左衛門で、のち越前国府中(現武生市)に移り、慶長年中(1596〜1614)に前田利長のあとを慕って、越中国氷見に移住して町人となった。後、二代目が町人召し寄せに応じて現守山町に引越し、槙屋九郎右衛門と名乗り、御荷物宿を仰せ付けられた。薬種業は元禄元年(1688)、槙屋の屋号で開店したのが始まりである。
清水家に伝わる古文献は270点(523冊)に及び、薬学関係の書物のほか、医学、文学、教育、教養関係など多岐にわたる書物が代々受け継がれてきた。平成7年に清水幸次氏(15代)より寄贈された。
武内家文書
武内家文書
武内家は下伏間江の旧家で、当主の曽祖父である武内七郎氏(1865〜1924)が生前小学校の教員の傍ら、郷土史研究に心血を注いで書写された資料及び執筆された著作物である。
総数201点(215冊)で、郷土史関係が137点あり、二塚村の歴史や恒性皇子、郷土の人物、越中の災害など富山県内を主とした貴重な歴史資料が含まれる。
平成14年に武内正人氏より寄託された。
逸見家文書
逸見家文書
逸見家初代は飛騨高原城(現神岡城)代逸見内匠頭重綱である。高原城は室町幕府九代将軍足利義尚に攻められ、重綱は越中三本松(高岡市二塚)で帰農して澤田孫右衛門重綱と改めた。
元和元年(1616)、5代目九左衛門が逸見を名乗って守山町に移住し、高原屋と称して蔵宿を営み、町役人も務めた。
逸見家に伝わる古文書は60点(81冊)で、蔵宿営業に関する記録が多く、そのほかにも加賀藩重臣の高岡休泊時の記録、紅方仕法、北海道開拓に関する雑記などがある。当館に寄贈された年代は伝わっていない。
近世資料
近世文書
明治42年(1909)、皇太子行啓の記念に「高岡史料」を編むために収集した史料である。書写したものや所蔵者から寄贈されたものが223点(297冊)ある。平成4年度から翻刻作業を開始し、以後「高岡市史料集」として刊行を続けている。(一部近世資料以外も含む)
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