清水家初代は尾張国(現愛知県)の浪人であった辻庄左衛門で、のち越前国府中(現武生市)に移り、慶長年中(1596〜1614)に前田利長のあとを慕って、越中国氷見に移住して町人となった。後、二代目が町人召し寄せに応じて高岡の「通り弐番町」(現守山町)に引越し、槙屋九郎右衛門と名乗り、御荷物宿を仰せ付けられました。薬種業は元禄元年(1688)、御馬出町において三代藤右衛門が建部道順(佐渡養順の二代目)の口入れをもって薬種商土井屋の仕事を買受け、槙屋の屋号で御馬出町で開店したのが始まりである。
清水家に伝わる古文献は270点(523冊)に及び、薬学関係の書物のほか、医学、文学、教育、教養関係など多岐にわたる書物が代々受け継がれてきた。平成7年に清水幸次氏(15代)より寄贈された。 |